| ● 本條秀太郎(ほんじょう ひでたろう) 1971年本條秀太郎を名乗り流儀曲として、自然に密着したリズム感と様式にこだわらない自由な音楽で、古典、民族音楽を土台とした「俚奏楽」を発表。本條流を創流し、現在に至る。古典の枠に留まらず、様々なジャンルの音楽、奏者と共演し国内外で数多く公演。また、26回を数える「本條秀太郎の会」を主催し、三味線音楽の興隆に力を尽くし、民謡・民俗芸能の発掘、採譜等、幅広い音楽活動を続けている。また、多年に渡り350曲に及ぶ「端唄」を収集、10年がかりで全曲を唄う演奏会に取り組んでいる。 第4回松尾芸能賞「民俗音楽優秀賞」(1983年)、1983年、1990年文化庁芸術祭音楽部門「芸術祭賞」を受賞。 -----三味線について 日本の代表的楽器である三味線は、実は外国の楽器を日本に輸入し改良を重ねたもの。その時期は、だいたい永禄五〈1562〉年とされ、その後、約一世紀の時を費やして日本最古の一節切・筝・三味線の独習入門書である中村宗三著『糸竹初心集』〈1644年〉が出版されるほど、庶民の間に普及していきました。日本に伝来した当時、この楽器を扱ったのは、盲目音楽家の琵琶法師でした。彼らは楽器自体に次々に改良を加え、そして、三味線の音色の最も大きな特色である「さわり」の音を出す工夫を追究し、日本の三味線は複雑な音色を奏でられる楽器となったわけです。
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